合成データ(Synthetic Data)は、患者から直接取得する代わりに、計算手法で一部または全部を生成したデータだ。実データにある分布や項目間の関係を模し、医療画像や検査値の不足を補う。医療AIの開発では、十分な症例を集めにくい希少疾患や、患者数の偏った分類を補正する用途が見込まれる。ただし、「合成」という名称は匿名性も臨床的な正しさも保証しない。

合成データ──再現するのは分布と関係

生成法は一つではない。敵対的生成ネットワーク(Generative Adversarial Network、GAN)や拡散モデル(Diffusion Model)は、実画像から画素の分布や構造を学んで新しい画像を出す。撮影装置や人体の構造を数式で表す物理シミュレーションもある。米食品医薬品局(FDA)の研究者9人による2024年のレビューは、放射線画像の生成法を統計的生成モデル、物理モデル、両者を組み合わせたモデルに大別し、希少例の補完、注釈付き学習例の作成、品質保証試験を主な用途に挙げている

合成画像の利点は、必要な条件を指定して例を増やせる点にある。少ない病変や撮影条件を追加し、クラスの偏りを緩和できる。生成器が学ぶ元データに少数例がほとんどなければ、その分布を正確に再現する根拠も乏しい。物理モデルにも人体や装置をどこまで表現したかという前提が残る。

この点で、患者データを院外に出さずモデル更新を集める「連合学習(Federated Learning)」とは解く制約が異なる。連合学習は各施設の実データをその場に残したまま共同学習する。合成データは訓練や試験に使う人工的な例を作る。両者は併用しうるが、採用しただけで個人情報の扱いや品質評価が済むわけではない。

病院のサーバールームに並ぶ機器と配線(イメージ)

日本の法制──「合成」の名称だけでは決まらない

生成元にカルテや画像を使う段階では、元データへの規律が先にかかる。個人情報保護委員会と厚生労働省の現行ガイダンスは、診療録、検査所見、X線画像などを個人情報の例に挙げ、病歴や診療の過程で得た情報を要配慮個人情報として扱っている。取得や個人データの第三者提供には原則として本人の同意が要る。最終的に合成データを公開する計画でも、生成器を学習させる元データの利用目的や提供方法は別に確認する必要がある。

日本の医療AI開発で公的に整理されている経路の一つは、仮名加工情報だ。厚生労働省が2024年に掲載した医療デジタルデータのAI研究開発向け指針は、医療機関、学術研究機関、企業が共同で製品を開発する場面を想定し、研究開発の段階に応じた法的根拠と仮名加工情報の作成・共同利用を整理している。これは合成データを個人情報から外す認定基準ではない。

個人情報保護委員会のガイドラインは、削除、一般化、ノイズ付加などと並べ、人工的な合成データを加える「疑似データ生成」を匿名加工の手法例に挙げている。同時に、匿名加工情報には個人を識別できず元の情報を復元できない状態が必要で、元のデータベースの性質に応じて加工の程度を個別に判断すると定める。生成処理を通した事実だけでは、匿名加工情報に当たるとの結論は出ない。

個人情報保護委員会と厚生労働省の公開資料を確認した範囲では、医療AI向け合成データを一律に個人情報の対象外とする専用基準は、本稿の執筆時点で確認できていない。技術上の呼び名と法的な区分を分け、生成元、加工方法、識別や復元の余地を案件ごとに見る必要がある。

法規制に関する文書とファイルを確認する様子(イメージ)

用途──足りない例と試験条件を補う

合成データの使い道を具体化した例が、FDAの規制科学ツール「M-SYNTH」だ。FDAの公開資料によると、M-SYNTHは4万5000件の合成デジタルマンモグラフィー画像を収録し、4段階の乳房密度、病変の大きさと濃度、撮影線量を変えてAIの性能を比較する。開発、事前学習、比較試験に使える一方、実患者データを完全には置き換えず、実画像との分布差で性能を見誤るリスクがある

ここで得られる価値は、条件を一つずつ動かして性能の変化を測れることだ。実患者だけでは同じ条件を大量にそろえにくい試験でも、病変の大きさや線量を制御した比較が組める。一方、生成モデルやシミュレーターが表現していない患者の特徴は試験から抜け落ちる。合成データは実データの代用品ではなく、実データだけでは埋まらない範囲を補う位置づけになる。

品質評価──見た目、用途、プライバシーを分ける

生成画像が人の目に本物らしく映るかは、評価の一部にすぎない。統計分布や項目間の関係を保つ「忠実度」、実データの下流タスクでも性能を保つ「有用性」、元の学習例を記憶していないかを見るプライバシー評価を分ける必要がある。FDA研究者らのレビューは、既存の指標が生成画像の不自然な構造や学習例の記憶を見落とす場合があると指摘し、医療機器の安全性と有効性を支える主要な評価には、堅牢な実患者テストセットを残すべきだとしている

訓練データを増やして精度が上がっても、別の医療機関や撮影装置で同じ結果になるとは限らない。生成元とは独立した実データで性能を測り、年齢、性別、疾患の頻度、装置の違いごとに抜けを探す工程が要る。匿名性についても、出力と元データが似ていないか、外部情報との照合で個人を推測できないかを別に検証する。

デジタルノイズと画像の乱れを表した抽象図(イメージ)

モデル崩壊──再帰学習が分布の裾を削る

合成データを繰り返し次世代の生成器へ渡す場合には、別の品質劣化が加わる。Shumailovらが2024年にNatureで発表した論文は、前世代の生成物で次世代を再帰的に学習させると、元の分布のうち出現頻度の低い裾の情報から失われ、世代を重ねると元の分布とかけ離れる「モデル崩壊(model collapse)」を、ガウス混合モデル、変分オートエンコーダー、言語モデルで示した

この結果は、合成データを一度追加した全ての医療AIが崩壊するという意味ではない。論文が直接検証したのは、モデルの出力が後継モデルの学習データへ入り続ける条件であり、医用画像AI全般ではない。医療分野への運用上の含意は、希少例を含む実データとの照合を残し、どの世代のモデルが何を生成したか追跡できる状態を保つことにある。これは論文の結果から導く含意で、医用画像を直接試験した結論ではない。

よくある質問

合成データと匿名加工情報は同じものか
同じではない。合成データは計算手法で作ったデータという技術上の呼び名で、匿名加工情報は個人を識別できず元の個人情報を復元できないよう所定の加工を施した法的な区分だ。生成方法と出力の状態によって両者が重なる場合はあるが、名称だけでは決まらない。

合成データがあれば実患者データは不要になるのか
不要にはならない。合成データは不足する訓練例や制御した試験条件を補えるが、実患者にある全てのばらつきを再現する保証はない。最終的な性能評価には、生成元から独立した実患者データが残る。

合成データを使うと必ずモデル崩壊が起きるのか
必ず起きるとの証拠はない。Nature論文が扱ったのは、前世代の生成物を次世代が再帰的に学ぶ条件だ。一度のデータ拡張や、実データと合成データを併用する全ての医療AIへ同じ結論を広げることはできない。